もっと頑張れば、変われる。
もっと続ければ、きっと何かが見えてくる。
そう信じて、私は長い間、学び続けてきました。
スピリチュアルは約10年。
呼吸法も2年半ほど。
どれも真剣に取り組んできましたし、
無駄だったとは思っていません。
でも、いつしか私は疲れてしまいました。
頑張ることが、当たり前になっていたのです。
心のどこかでは、もう頑張りたくない。
そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていました。
期待していなかった出会い
そんな頃に出会ったのが、苫米地理論でした。
正直に言うと、
自分から学びたいと思って出会ったわけではありません。
ある講座の一環として、
たまたま含まれていただけでした。
当時の私は、学ぶことにも、教わることにも、
正直嫌気がさしていました。
また新しい理論か…
今度もどうせ、頑張ることが増えるだけだろう…
そう思っていたので、真剣に向き合うつもりもなく、
適当にやり過ごしておこうとすら思っていたのです。
これまで私は「認知科学」という言葉を使ってきましたが、
私が学び続けているのは、その中でも苫米地理論という体系です。
認知科学を土台としながらも、
それだけでは語りきれない独自の理論として、私は受け止めています。
ここから先は、「苫米地理論」という言葉でお話ししていきます。
「感じる」のではなく、「整理される」感覚
これまで学んできたことの多くは、
「感じること」「体感すること」を大切にしていました。
それ自体に価値がないとは思いません。
ただ、体感には個人差があります。
同じことを学んでも、感じ方は人それぞれです。
苫米地理論は違いました。
これまで感覚で捉えていたことが、
まるでグラフを見るように整理されていったのです。
だから、あのとき苦しかったのか…
だから、人間関係がうまくいかなかったのか…
点だった出来事が、
一本の線につながっていくような感覚でした。
本当の学びは、そこから始まった
とはいえ、講座を受けたその日から
劇的に人生が変わったわけではありません。
むしろ、本当の学びはそこから始まりました。
私は約2年間、日常で起きる出来事を一つひとつ、
苫米地理論に照らし合わせながら過ごしました。
人間関係で悩んだ日。
落ち込んだ日。
うれしかった日。
そのたびに、
「この出来事は、苫米地理論ではどう捉えるのだろう」と問い続けました。
理論を覚えることではなく、
自分の人生で確かめ続けること。
その時間が、
少しずつ私の世界の見え方を変えていきました。
常識を変えた一つの言葉
その2年間の中で、今でも忘れられない考え方があります。
「相手と自分は、別々の情報空間を生きている」
最初は、意味がよく分かりませんでした。
でも、自分の人生で何度も確かめるうちに、
少しずつ腑に落ちていったのです。
学生時代、いじめにあっていたあの出来事も、
人間関係で苦しんできた理由も、
以前とはまったく違う景色として見え始めました。
もし今、「頑張っているのに、なぜか変われない」と
感じているなら、
それは、頑張り方の問題ではなく、
まだ出会っていない視点があるだけなのかもしれません。
次回は、この「情報空間」という考え方について、
私自身の体験を交えながらお話ししていきます。
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