なぜヒーラーによって「見える過去生」が違うのか?認知科学から考える

「神官」と言われたことも、「エビ」と言われたこともあります

私は以前、何人かのヒーラーに、「過去生」を見てもらったことがあります。

ある人には、「ハトホル神殿の神官だった」と言われました。

別の人には、「エビだった」と言われました。

神官と、エビです。

さすがに、振れ幅がすごいな、と思いました。


「過去生」と「世界線」という考え方

スピリチュアルの世界には、「過去生」という考え方があります。

私たちは何度も生まれ変わりを繰り返している、という考え方です。

私自身、これを否定するつもりはありません。

それによって心が軽くなったり、前に進めるきっかけになるなら、スピリチュアルでも、引き寄せでも、何でもいいと思っています。

大切なのは、その人が幸せになることだからです。

同時に、現代の科学者が「無数の世界線」に注目しているのも事実です。

「神官」と「エビ」、両方とも「私の過去生」だとすると、「無数の世界線が同時に存在している」という前提に立つなら、これは、むしろ当然のことなのかもしれません。

どの世界線にアクセスするか、どの場面が「見える」かは、見る人によって変わる。

そう考えると、矛盾ではなく、視点の違いとして理解できます。


認知科学から見ると、どうなるか

ここで、認知科学の視点を少し加えてみます。

認知科学では、「知覚」や「記憶」は、ただの記録ではなく、その都度つくられるもの、と考えられています。
これを「構成的記憶」と呼びます。

同じ出来事を見ても、人によって注目するポイントは違います。

これは、脳が「すべての情報」を処理しているわけではなく、その人にとって意味のある情報だけを選んで見ているからです。
これを「選択的注意」と言います。

つまり、「世界をどう見るか」は、もともとひとつに決まっているわけではなく、見る人ごとに、ある程度違っていて当然、ということです。

これを過去生の話に当てはめると、ヒーラーによって見える場面が違うのは、不思議なことではなく、
「人によって見える世界が違う」という、ごく自然な仕組みの延長線上にあることなのかもしれません。


大切なのは、その情報が、今の自分にとって、どんな意味を持つか

私の場合、「神官」と言われたときは、なんだか誇らしい気持ちになりました。

一方で、「エビ」と言われたときは、思わず笑ってしまいました。

大切なのは、「どれが正解か」を探すことよりも、その情報が、今の自分にとって、どんな意味を持つか、ということだと思います。

見えた場面に勇気づけられたり、ちょっと笑えたりしたなら、それは、その人にとって意味のある情報だった、ということです。

あなたにも、似たような経験はありませんか?

「なぜ、そう見えるんだろう?」

スピリチュアルか、科学かではなく、両方の視点を持つことが、自分自身を知る、ひとつのきっかけになるかもしれません。

もしかすると、あなたにも、似たような経験があるかもしれません。

セミナーや個人セッションで、人によって言われることが全然違っていて、戸惑った経験。

一つの出来事のはずなのに、振り返るたびに、見え方が変わっていく感覚。

もしあなたにも、そんな出来事があれば、ぜひ問い合わせフォームから教えてください。

皆さんの体験を伺えること、楽しみにしています。


最後に

私のメルマガでは、氣幸師目線で、脳の仕組みや認知科学のこと、日々の気づきやヒントを発信しています。

スピリチュアルか、科学か。
その対立で考えるのではなく、両方の視点を持っておくと、物事を見る幅が広がります。

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