「抽象度」を変えれば、見える景色は変わる

学生時代の出来事は変わりません。

私を傷つけた言葉も消えません。

あの日の教室も。
あの頃の苦しさも。

過去は、書き換えられないものなのかもしれません。

それなのに、不思議なことがあります。

同じ出来事なのに、ある日を境に、私には違う景色として見え始めたのです。

世界が変わったわけではありません。

変わったのは、私の「見え方」でした。


「時間が解決した」わけではなかった

「時間が解決したんですね」

そう言われることがあります。

でも、私はそうは思っていません。

時間が傷を癒やしてくれることはあるかもしれません。

でも、時間が過去の意味まで変えてくれるわけではありません。

私の場合、変わったのは「時間」ではなく、「見る位置」でした。

その違いに気づいたとき、
人間関係に対する考え方が少しずつ変わり始めたのです。


抽象度が変わると、景色が変わる

私が学んでいる苫米地理論では、
この「見る位置」の違いを「抽象度」という考え方で捉えます。

抽象度とは、情報量の大小のことです。

たとえば「犬」「猫」という抽象度もあれば、
それらをまとめた「哺乳類」という、より高い抽象度もあります。

抽象度が高くなるほど、扱う情報は整理され、
シンプルになっていきます。

ほんの少し抽象度が変わるだけで、
同じ出来事が違って見えることがある。

私は、そのことを何度も経験してきました。


見え方が変わると、意味も変わる

以前の私は、
なぜ私だけが傷つかなければならなかったのだろう…
そう考えていました。

でも、少し高い抽象度から眺められるようになると、

「あの教室では、それぞれが自分の見ている世界を
生きていたのかもしれない」

そう思えるようになりました。

相手を正当化したいわけではありません。

過去を美化したいわけでもありません。

ただ、一つの出来事を
違う角度から見ることができるようになったのです。

すると、不思議なことに、
苦しさの意味も少しずつ変わり始めました。

もし今、抜け出せない苦しさの中にいるなら、

出来事そのものを変えようとする前に、
少しだけ見る位置を変えてみることから、始められるのかもしれません。


気づいたときに、世界は変わり始める

私は、「気づく」ということをとても大切にしています。

誰かに答えを教えてもらうことも必要です。

でも、本当に世界が変わり始めるのは、

自分自身で「そういう見方もあったのか」と気づいた瞬間ではないでしょうか。

その気づきは、
過去を消してくれるものではないのかもしれません。

けれど、未来の見え方を変えてくれる力があります。

だから私は、世界を変えようとする前に、
自分の見え方に目を向けることを大切にしています。


メルマガのご案内

私のメルマガでは、もう少し深く掘り下げ、

日常の中でどう受け止め、
実践してきたのかを具体例とともにお伝えしています。

人間関係を少し違う角度から見てみたい方は、
ぜひメルマガをのぞいてみてください。

氣幸という名の、小さな魔法💫
👇メルマガはこちらから


【メッセージ・ご質問を募集中】

note質問箱を始めました!

現代気功や認知科学に関するご質問、日々の気づきや感想など、
こちらから匿名でお送りいただけます。

「こんなこと聞いていいのかな?」という内容でも大歓迎です。
ぜひお気軽に活用してくださいね😊 

👇こちらから入れます