「どうして私ばかり、こんな目に遭うのだろう」
そんなふうに思ったことはありませんか。
「いつも裏切られる」
「誰も私を大切にしてくれない」
「結局、人は信用できない」
同じようなことが何度も起きると、
それがいつの間にか「自分の現実」になっていきます。
でも、本当にそうなのでしょうか。
私たちは、世界をそのまま見ているわけではない
私たちは、
目の前で起きていることを、
そのまま受け取っているわけではありません。
認知科学では、
脳は外から入ってくる情報を単純に記録するのではなく、
過去の経験や記憶、期待や予測などをもとに
情報を選びながら捉えていると考えられています。
つまり、
「何が起きたのか」と、
「それを自分がどう見たのか」は、同じではありません。
たとえば、誰かからの返信が遅れたとします。
「忙しいのかな」と思う人もいれば、
「嫌われたのかな」と感じる人もいる。
同じ出来事でも、そこから受け取る情報が違う。
だから、同じ世界にいても、
人によって「見えている世界」は違うのです。
「私はいつも裏切られる」が現実になるまで
「私はいつも裏切られる」と思っている人は、
裏切りにつながる情報に注意が向きやすくなっているかもしれません。
優しくされたことより、
冷たくされた一言が残る。
大切にされたことより、
大切にされなかったことを思い出す。
そうすると、
「やっぱり私は大切にされない」
という確信が、さらに強くなっていく。
ここで大切なのは、「あなたの考え方が悪い」ということではありません。
傷つけられたことも、
裏切られたことも、
望まない出来事が起きたことも、
それまで自分のせいにする必要はないのです。
ただし、
自分が何に注意を向け、何を見て、何を見落としているのか。
そこには、自分自身も関わっています。
「意味づけを変えればいい」だけではない
こういう話をすると、
「出来事の意味づけを変えればいい」という結論になりがちです。
でも、それだけでは終わらないと思うのです。
見るべきなのは、
「私は、この出来事の中で何を見ていたのか」
ということ。
そして、
「何を見ていなかったのか」
ということ。
さらに、もう一つあります。
「私は、人に何をしているのか」
「大切にしてほしい」と願いながら、
自分は人を大切にしているのか。
「理解してほしい」と思いながら、
自分は相手を理解しようとしているのか。
「裏切られた」と感じるなら、
自分は、誰かを裏切っていないのか。
これは、
自分を責めるための問いではありません。
自分だけを被害者の側に置いて、
そこで思考を止めないための問いです。
自己責任とは、自分を責めることではない
ここまで読むと、
「結局、全部自分の責任ということ?」と
思うかもしれません。
違います。
起きた出来事のすべてを、
自分で選べるわけではありません。
誰かに傷つけられることもある。
裏切られることもある。
自分ではどうにもできない出来事もあります。
だから、起きたことまで
自分のせいにする必要はありません。
けれど、
自分が見ている世界に、
自分自身が関わっていることまで、
他人のせいにはできません。
何に注意を向けるのか。
何を信じるのか。
何を恐れるのか。
相手をどう見るのか。
そこには、
自分自身が関わっています。
だからこそ、
「どうして私ばかり」と思ったときほど、
一度、自分に問いかけてみてください。
私は、何を見ている?
何を見落としている?
私は、人に求めているものを、
自分も与えている?
そして、
私は、誰かを裏切っていない?
これは、
自分を責めるための問いではありません。
自分だけを被害者の側に置いて、
そこで思考を止めないための問いです。
責任とは、
自分を責め続けることではなく、
自分の人生から、
自分自身を切り離さないことです。
あなたが見ている世界に、
あなた自身が関わっている事実から、
目を逸らさないこと。
そこからしか、
自分の世界を見直すことはできないのだと思います。
その先を、知りたい方へ
自分が見ている世界には、
自分自身が関わっている。
では、
あなたの内側には、何があるのでしょうか。
氣幸師NORIKOのメルマガで、
さらに深くお伝えしています。
氣幸という名の、小さな魔法💫
👇氣幸師NORIKOのメルマガ登録はこちらから
【メッセージ・ご質問を募集中】
note質問箱を始めました!
現代気功や認知科学に関するご質問、日々の気づきや感想など、
こちらから匿名でお送りいただけます。
「こんなこと聞いていいのかな?」という内容でも大歓迎です。
ぜひお気軽に活用してくださいね😊
