頑張っているのに、なぜか苦しい。
人のために生きたいのに、自分も大切にしたい。
変わりたいのに、今の自分を失うのは怖い。
そんなふうに、
心の中で相反する気持ちがぶつかって、
疲れてしまうことはありませんか。
今回は、その矛盾を「減らす」ための視点を、
ひとつだけご紹介します。
■ 矛盾する気持ちは、おかしなことではない
まず大切なのは、
矛盾する気持ちを持つこと自体は、
何もおかしなことではないということです。
昼があれば夜があるように、
人の心にも、相反する思いが同時に存在します。
どちらも本音であり、どちらも間違いではありません。
矛盾をゼロにしようとすると、
かえって苦しくなってしまいます。
ただ、矛盾を「減らす」ことはできます。
そのカギになるのが、「抽象度」という考え方です。
■ 「抽象度」とは、物事を見る視点の高さのこと
抽象度とは、
物事をどれだけ広い視点で捉えているか、
という視点の高さのことです。
認知科学の視点から語られることの多い考え方で、
細かい出来事に意識が向いているときは「低い」、
全体や目的に意識が向いているときは「高い」と表現します。
たとえば、
「新しいことを始めてみたい」
「でも、また失敗するのが怖い」
という2つの気持ちがあるとします。
抽象度が低いときは、
この2つが別々の気持ちとして、
正面からぶつかってしまいます。
では、どうすれば視点が上がるのか。
■ 視点を上げる、いちばんシンプルな方法
視点を上げる方法は、いくつもあります。
その中で、私がいちばんシンプルだと思うのが、
「利他性」を意識することです。
「利他性」とは、
誰かの役に立ちたいと思う気持ちのこと。
特別な知識も、道具もいりません。
誰かの顔を一人思い浮かべるだけで、始められます。
「自分はどうしたいか」
「自分は正しいのか」
その問いに向き合い続けると、
心の中の声は、ますますぶつかり合います。
そこで、問いを一つだけ変えてみます。
「これは、誰かの役に立つだろうか」
■ 先ほどの気持ちに、この問いを向けてみる
「新しいことを始めてみたい」
「でも、また失敗するのが怖い」
ここに、先ほどの問いを向けてみます。
「もし始めたことが、
同じように迷っている誰かの
役に立つとしたら」
そう考えたとき、
「始めたい」と「怖い」は、
「誰かの役に立つかもしれない」という、
より大きな目的の中に置かれます。
怖さが消えるわけではありません。
ただ、2つの気持ちは、
別々にぶつかり合うものから、
同じ目的の中にある、二つの側面に変わります。
すると、
「怖くても、やってみたい」という
一つの方向を向きはじめます。
矛盾が消えたわけではありません。
ただ、ぶつかる力が、小さくなったのです。
■ 利他は、自分を犠牲にすることではない
ここで誤解してほしくないのは、
利他とは、我慢することでも、
自分を後回しにすることでもないということです。
上の例でも、
怖さを押し殺したわけではありません。
怖さを抱えたまま、
より大きな目的の中に置いただけです。
仏教では、
自分の幸せと他の人の幸せを、
切り離さずに捉えてきました。
自分を大切にすることと、
誰かを大切にすることは、
本来、対立するものではないのです。
■ 人は、本来やさしい存在なのかもしれない
仏教には、
人は誰もが、他者を思いやる心を
本来もっているという考え方があります。
誰かが困っていれば、力になりたいと思う。
誰かが喜んでいれば、自分も嬉しくなる。
その気持ちは、特別な人だけのものではなく、
疲れ切っているときでも、
誰の中にも、もともとあるものです。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
医療の現場に立ち、頑張りすぎて、
一度、すべてを諦めた私が、
なぜ「シンプルに生きる」ことを大切にするようになったのか。
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矛盾を抱えながら生きてきた一人として、
一緒に、シンプルな生き方を探っていけたらと思っています!
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