目の前の問題を解決しても、
また別の問題が起きる。
考え方を変えようとしても、
結局いつもの判断に戻ってしまう。
なぜ、同じところで
足踏みを繰り返してしまうのだろうか。
その背景を考えるうえで、
重要なのが「抽象度」という概念である。
抽象度とは、
情報空間における階層の高さを表す概念である。
抽象度が高いほど、より多くの情報を包摂し、
低いほど具体的で限定された情報になる。
例えば、
「柴犬」「犬」「動物」という関係を考えてみよう。
柴犬は犬に含まれ、犬は動物に含まれる。
「動物」という概念は、
犬だけでなく猫や鳥なども包摂している。
このように、
上位の概念は下位の概念を包み込んでいるが、
人間の思考にも、同じような階層がある。
例えば、
10個のゴールを設定したとする。
そのうち9個を達成し、1個だけ達成できなかった。
達成できなかった1個だけに意識が向くと、
「自分には才能がない」
「やっぱり無理だった」と判断してしまうかもしれないが、
梯子をかけて
一段高いところから全体を眺めてみたらどうだろう。
未達成の1個だけでなく、
達成した9個も含めた全体が見えてくる。
個別の結果だけを見ていたときとは、
まったく違う認識になるのではないだろうか。
一つの情報にとらわれるのか、
それを包摂する上位の階層から捉えるのか。
これが抽象度の違いである。
では、なぜ私たちは、
視点を変えることが難しいのだろうか。
その背景には、
長年の経験や周囲から受け取った情報によって
形成された価値観や思考の枠組みがある。
また、ある意味、人間は
危機管理能力を持っているからこそ、進化してきたともいえる。
危険を察知し、
失敗を避け、
過去の経験から次の行動を判断する。
こうした能力は、生き延びるために欠かせなかった。
しかし、過去に危険だったことを
これからも危険だと判断し続けたらどうなるだろう。
本来は自分を守るための判断が、
まだ起きていない未来の可能性まで閉ざしてしまうことがある。
「自分には無理だ」
「失敗してはいけない」
「普通はこうするものだ」
こうした判断基準が固定されると、
私たちは知らず知らずのうちに、
その枠組みの中だけで物事を判断するようになる。
そこで必要なのが、
自分の思考の枠組みそのものに働きかけることである。
そのための手段のひとつが、「脱洗脳」。
脱洗脳とは、
誰かの考えを別の考えに置き換えることではない。
自分の中に積み重なった思考の制約を解き、
物事を捉える枠組みそのものに働きかけることである。
思考の制約が解かれ、
視点が高くなると、抽象度も上がっていくことで、
より多くの情報を包摂できるようになり、
これまでとは違う可能性も認識できるようになる。
脱洗脳は、
その可能性を広げるための手段のひとつに過ぎず、
大切なのは、
「私たちは、幸せになるためにここにいる」ということ。
過去の経験や誰かの価値観に、
これからの人生まで決めさせる必要はなく、
自分の可能性を
自分で狭めない生き方を選んでいくことではないだろうか。
あなたが見ている世界は、本当にすべてですか。
「自分には無理」
「失敗してはいけない」
「普通はこうするもの」
その判断は、本当に自分の意思でしょうか。
長年の経験や周囲から受け取った情報によって、
知らず知らずのうちに身についた思考の枠組みかもしれません。
問題は、その枠組みの中にいる限り、
自分ではその存在に気づきにくいことです。
今の考え方を変えようとしても、
同じ判断に戻ってしまう。
目の前の問題を解決しても、
また同じような壁にぶつかる。
それは、
物事を捉える視点そのものに原因があるのかもしれません。
メルマガでは、
私たちの思考や認識がどのようにつくられ、
何に縛られているのか、
その構造と仕組みを紐解いていきます。
誰かの正解を受け入れるのではなく、
自分の頭で考え、自分の判断で人生を選ぶために、
今の自分の認識を疑うことから、始めてみませんか。
メルマガで、新しい視点に出会ってください。
👇氣幸師NORIKOのメルマガはこちらから
