誰かの役に立ちたい。
相手に喜んでほしい。
そう思って行動し、
相手が喜んでくれたら、自分もうれしくなります。
では、その行動は誰のためだったのでしょうか。
相手のため。
それとも、自分のため。
この二つを
きれいに切り分けることはできるのでしょうか。
私たちは、自分の欲求から自由になれない
誰かを助けたい。
喜んでもらいたい。
自分の経験を役立てたい。
こうした気持ちは、
すべて自分の内側から生まれます。
相手のために行動しているつもりでも、
そこには自分の願いや価値観が含まれています。
そもそも、自分の気持ちを一切含まずに、
誰かのために行動することなどできるのでしょうか。
自分の満足を
相手も望んでいるはずだと思い込むこと。
そこに、見落としやすい落とし穴があります。
相手のためにしているのに、なぜ腹が立つのか
たとえば、相手が困らないようにと、
時間をかけて助言をしたとします。
ところが、
相手はその助言を必要としていなかった。
聞き入れるどころか、
自分の考えで進もうとする。
そんなとき、
どんな気持ちが生まれるでしょうか。
「せっかく教えてあげたのに」
「あなたのためを思って言ったのに」
そう感じたとき、
一つ考えてみたいのです。
私たちは、
相手の役に立てなかったことに
腹を立てているのでしょうか。
それとも、
自分の考えを受け入れてもらえなかったことに
腹を立てているのでしょうか。
前者なら、
相手にとって何が必要だったのかを考え直せます。
後者なら、
自分の期待どおりに相手が動かなかったことが、
不満の原因なのかもしれません。
相手のために行動したはずなのに、
いつの間にか、
相手に自分の気持ちを満たしてもらおうとしている。
この変化は、
自分ではなかなか気づけないものです。
「相手のため」という言葉が、自分を正当化するとき
人は、自分の行動に理由を求めます。
なぜ、これほど相手を気にかけているのか。
「相手のためだから」という答えがあれば、
自分の行動に意味を見いだせます。
けれど、その理由が、
自分の行動を振り返る機会を奪うこともあります。
相手が望んでいなくても、
自分は相手のためを思っている。
そう考えれば、
相手の反応を受け止めなくても、
自分の正しさを保てます。
ここで優先されているのは、
相手がどう感じているかではなく、
自分には相手を思う気持ちがあるという事実です。
しかし、善意があったことと、
その行動が相手にとってよかったことは同じではありません。
自分の気持ちを根拠に行動の正しさを決めてしまえば、
相手が何を望んでいるのかを見失うことがあります。
善意と自己満足の境界線は、どこにあるのか
では、自分の満足を求めずに行動すれば、
純粋な善意といえるのでしょうか。
感謝も評価も求めず、
相手に喜んでもらえなくても何も感じない。
そんな状態を目指す必要があるのでしょうか。
誰かの役に立てたことがうれしい。
自分の経験が相手の助けになったことに喜びを感じる。
その満足まで否定する必要はないはずです。
相手を助けたい。
自分の力を役立てたい。
認めてもらいたい。
こうした願いが、
一人の人間の中に共存することもあります。
大切なのは、
どれか一つを
「純粋な善意」として取り出すことではなく、
自分の願いが
相手への接し方にどう表れているかを見つめることです。
自分が正しいと思う道を相手にも選んでほしい。
自分の助言を受け入れてほしい。
自分がしたことを喜んでほしい。
そうした期待が満たされないとき、
相手の選択をそのまま認められるでしょうか。
善意と自己満足の境界線は、
自分が満足するかどうかではなく、
自分の満足を満たすために、
相手の意思を曲げようとしていないかというところにあるのかもしれません。
人のために行動するということ
「自分は相手のために行動している」
という認識だけでは、
その行動が本当に
相手のためになっているかどうかはわかりません。
自分の気持ちと
相手が望んでいることは、
必ずしも一致しないからです。
相手が自分の期待とは違う選択をしたとき。
自分の助言を必要としなかったとき。
自分の行動を喜んでくれなかったとき。
そんな場面でこそ、
自分が何を求めていたのかが見えてくることがあります。
「相手のため」という言葉は、
自分の行動を正当化するためにも使える。
だからこそ、
その言葉を口にするとき、
自分自身にも問いかけてみたいのです。
私は本当に、相手のためにしているのだろうか。
それとも、
相手のためという理由で、
自分の願いを叶えようとしているのだろうか。
あなたが正しいと信じていることは、本当に正しいのでしょうか?
「相手のため」と信じていた行動に、
自分自身の願いが隠れている。
では、あなたが
正しいと信じている考えは?
当たり前だと思っている常識は?
自分で考え、選んでいるつもりの価値観まで、
知らないうちに何かの影響を受けていたとしたら……
私たちは、見えている世界がすべてだと思ったとき、
見えないものの存在には気づけなくなります。
その見えない部分に目を向けることで、
今まで思いもよらなかったことに気づけるのです。
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