コンフォートゾーンは居心地のいい場所—その常識は、もう古いかもしれません

コンフォートゾーンは「居心地の良い場所」なのか

「コンフォートゾーン」という言葉を
聞いたことがある方も多いと思います。

一般的には、
「そこにいれば安心できる、居心地の良い場所」というイメージで
語られることが多い言葉です。

だからこそ、
「コンフォートゾーンから出る」という言葉には
どこか怖さがつきまといます。

居心地の良い場所をわざわざ手放す…
そんな風に感じてしまう方も、少なくないはずです。

しかし、苫米地理論における最新の解釈では
この理解そのものが更新されています。


出るのが、当たり前

苫米地理論では、コンフォートゾーンとは、
これまでの経験や、繰り返し取り込んできた
「当たり前」によって作られた領域だとされます。

つまり、そこにいるのは、
今のあなたではなく、過去のあなたです。

だとすれば、
「そこから出る」という行為の意味も変わってきます。

出ることは、
居心地の良さを手放すことではありません。

過去の自分が作った場所に、
今もまだいつまでも留まり続けている状態から、
抜け出すことです。

最新の解釈では、
コンフォートゾーンは「安住すべき場所」ではなく、
「出るのが当たり前の場所」だと位置づけられています。

「いつまで、過去の自分にこだわっているんですか」

そう問いかけられているのが、
今のコンフォートゾーンという概念です。


なぜ、この再定義が重要なのか

この視点の転換には、実用的な意味があります。

「居心地の良い場所を手放す」という理解のままだと

コンフォートゾーンを出ることは、
常に「喪失」として感じられてしまいます。

しかし、「そこにいるのは過去の自分」という理解に立てば、

出ることは喪失ではなく、
今の自分を取り戻す行為になります。

これは、

「頑張ることは偉い」
「我慢は美徳」
「清貧のすすめ」といった、

検証されないまま取り込まれてきた
「当たり前」からの脱却を考えるうえでも、重要な視点です。

これらの言葉に従って生きてきた自分は、
その時々では必要だったかもしれません。

しかし、今の自分にとって、
本当に必要かどうかは、また別の話です。


思い癖の深さには、個人差がある

ただし、ここで補足しておきたいことがあります。

どれだけ深く、思い癖が入り込んでいるか、
その度合いは、人によって異なります。

長い時間をかけて染みついた癖もあれば、
比較的浅い癖もあります。

この個人差を無視して、

「気づけば、すぐに出られる」と単純化することは、
実態に即していません。

大切なのは、変化の速さではなく、

「ここは、過去の自分が作った場所かもしれない」と、
気づけているかどうか、それだけです。


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ここまで、苫米地理論における
コンフォートゾーンの再定義についてお話ししてきました。

「出るのが当たり前」だとしても、

そこには、気づくだけでは届かない、
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