「なりたい自分」は、本当にあなたが選んだものか
前回までの記事では、
「当たり前」
「情報空間」
「コンフォートゾーン」という視点から、
私たちが無意識のうちに縛られている構造についてお話ししてきました。
そこから少しずつ、
足を踏み出し始めている頃かもしれません。
では、その先に何があるのでしょうか。
「本当はどうありたいか」
これまで、何度自分に聞いてきたでしょうか。
そのゴール、have toになっていませんか
- 「良い母親でいなければ」
- 「迷惑をかけてはいけない」
- 「歳相応にふるまわなければ」
こうした言葉の先にあるゴールは、
実は自分が心から望んだものではないことがあります。
苫米地理論では、
こうした「〜しなければ」という基準で動くことを
have to(せねばならない) と呼びます。
対して、
心から「こうしたい」と思えることを
want to(したい) と呼びます。
多くの人が、いつの間にか
have toをゴールだと思い込んでしまっています。
have toは、誰かが決めたもの
have toの厄介なところは、
それが「自分で決めたゴール」のような顔をしていることです。
「良い母親でいたい」と思っていたつもりが、
よく見つめ直すと、
「良い母親でいなければ、周りにどう思われるか分からない」
そういう不安が土台になっていることがあります。
それは、あなたが心から望んだゴールではなく、
誰かの評価から作られた、have toなのかもしれません。
なぜ、自分では気づけないのか
「have toかもしれない」と言われても、
正直ピンとこない。
そんな方も多いと思います。
それもそのはずで、
これは意志が弱いとか、
自分を見つめる努力が足りないという話ではありません。
脳は、大事だと思っていることしか、
見えないようにできています。
逆に言えば、大事だと思っていないことは、
目の前にあっても素通りしてしまう。
これを、苫米地理論では
スコトーマ(心理学的盲点)と呼び、
この「大事・大事じゃない」を決めている脳の働きをRASと言います。
長年「周りにどう思われるか」を大事にしてきた人は、
脳が自然とそこにアンテナを向け続けます。
そうすると、
「本当はどうしたいか」という声は、
大事な情報として拾われず、盲点の中に埋もれていく。
つまり、
「本当は何を望んでいるか、見えない」というより、
「わからなくなっている」という感覚の方が近いのです。
これは意志の弱さではなく、
その基準で生きてきた年数が長いほど、誰にでも起こることです。
have toを積み重ねると、何が起きるのか
では、want toは、どうすれば見つかるのでしょうか。
正直に言うと、
これは、そう簡単なことではありません。
長年、have toの中で生きてきた人ほど、
「本当は何がしたいのか」がすぐには分からなくなっています。
だから、
今すぐwant toが見つからなくても大丈夫です。
最初は、have toのままで構いません。
たとえば、
「頼まれた家事を、今日は丁寧に終わらせた」
「気の乗らない集まりに、きちんと顔を出せた」
そんな小さなhave toの達成でも構いません。
ポイントは、
達成した後に、一瞬だけ自分に聞いてみることです。
「これをやり終えて、どう感じたか」
少しだけ「できた」という手応えがあったのか。
この小さな確認を重ねることで、
RASが少しずつ「自分の感覚」にも重要度を置くようになっていきます。
今まで他人の評価だけに向いていたアンテナが、
自分の内側にも向き始めるのです。
一度で劇的に変わるものではありません。
この確認の積み重ねが、
have toだらけだったこれまでの人生に、
少しずつ、違う色を足していきます。
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