「正しいのに伝わらない」と感じたことはありませんか?
一生懸命やってきたはずなのに、なぜか報われない。
そんな虚しさを、心のどこかに抱えたまま過ごしていないでしょうか。
良かれと思って伝えたのに、相手の反応がどこか冷たい。
そんな経験はないでしょうか。
私は以前、「どうして分かってもらえないのだろう」と考えていました。
でも今は、その原因は「正しさ」ではなく、「見ている視点」にあったのではないかと思っています。
今日は、認知科学の「抽象度」という考え方をヒントに、人間関係のすれ違いについて書いてみたいと思います。
抽象度を上げると、見えるものが変わる
認知科学には「抽象度」という考え方があります。
たとえば、犬と猫は違う動物です。
でも、一段視点を上げると、どちらも「哺乳類」というくくりで捉えることができます。
このように、細かな違いではなく、共通する本質で物事を捉えるほど、抽象度は高くなります。
そして抽象度が上がると、情報量は少なくなる一方で、物事の全体像がかえって見えやすくなるという性質があります。
会話やコミュニケーションにおいても、この「抽象度」という視点が大きなヒントになります。
「本音で話そう」と言われて、私が見落としていたもの
以前の私は、相手の「言葉」だけを見ていました。
質問されたら答える。
困っていたら解決策を伝える。
それが相手のためだと、疑いなく思っていたのです。
以前、ある人間関係の中で、こんなことがありました。
なかなか状況が変わらない中で、「お互い、本音で話そう」という流れになったことがあります。
私は、誠実であることが一番大切だと思い、正直に自分の思いを伝えました。
でも、返ってきた反応は、私が想像していたものとは違いました。
伝えたつもりの言葉が、まったく違うニュアンスで受け取られていたのです。
その時、私はようやく気づきました。
「本音で話す」ということに気を取られるあまり、 相手が今、本音を受け止められる状態にあるかどうかを、まったく見ていなかったのです。
正直であることと、伝わることは、必ずしもイコールではない。
そのことを、身をもって知った出来事でした。
見るべきものは「言葉」ではなく「問い」
あの出来事から、私は一つの問いを持つようになりました。
相手が本当に求めていたのは、正論でも本音でもなく、 ただ話を聞いてほしかっただけだったのかもしれない。
気持ちを分かってほしかっただけだったのかもしれない。
そう思えるようになったのは、抽象度を一段上げて物事を見るようになったからです。
「何を言ったか」ではなく、 「なぜ、その話をしたのだろう」という視点が生まれます。
つまり、言葉という具体的な情報ではなく、その奥にある目的や感情という、より抽象度の高いレイヤーを見るということです。
すると、不思議なくらい会話の受け止め方が変わっていきます。
「余計なことを言われた」と感じていた出来事も、 「この人は役に立ちたかったのかもしれない」と見えてくることがあります。
もちろん、すべてを受け入れる必要はありません。
ただ、見えている景色そのものは、確実に変わっていきます。
人間関係は、正しさだけでは動かない
人生には、正しい答えが必要な場面もあります。
でも、人間関係はそれだけでは成り立ちません。
相手が今、何を求めているのか。
どんな状態で、その言葉を発したのか。
そこに目を向けたとき、初めて対話が始まるのだと思います。
私たちはつい、「何を伝えるか」に意識が向きがちです。
でも本当に大切なのは、「相手は今、何を受け取れる状態なのか」を見ることなのかもしれません。
正しいことでも、求められていないタイミングでは届かない。
だから私は、正しさを磨く前に、自分の視点を少しだけ上げることを大切にしています。
最後に
認知が変わると、同じ出来事でも見え方は大きく変わります。
私自身、視点ひとつでこんなにも景色が変わるのかと、何度も驚かされてきました。
だからこそ、その驚きを一人でも多くの方と分かち合いたいと思っています。
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