私が見ていた「私」と、相手が見ていた「私」は違いました

学生時代の私は、自分が嫌いでした。

「ぶすい」

そう呼ばれたこともありました。

成績が良かったことを妬まれ、
いじめの対象になったこともあります。

だから私は、

私が変わればいい…
嫌われないようにしよう…

そう思って生きていました。

相手に逆らわず、
できるだけ目立たず、
波風を立てないように。

今をやり過ごす方法は、それしかないと信じていました。


「本当の私」を見られている、と思い込んでいました

今振り返ると、私は大きな勘違いをしていました。

相手は、本当の私を見ている。
そう思い込んでいたのです。

だから、

嫌われたら私が悪い…
悪口を言われたら私に原因がある…

そう考えていました。

でも、私が学んでいる苫米地理論と出会ってから、
その考え方は少しずつ変わっていきました。


苫米地理論で出会った、「情報空間」という考え方

苫米地理論の中に、こんな考え方があります。

相手と自分は、別々の情報空間を生きている

初めて聞いたときは、
正直よく分かりませんでした。

でも約2年間、日常の出来事を一つひとつ
この考え方に照らし合わせながら過ごすうちに、
少しずつ腑に落ちていったのです。


相手が見ていたのは、本当の私ではなかった

学生時代、

私を「ぶすい」と呼んだ人。
成績を妬み、いじめた人。

その人たちは、本当の私を見ていたのでしょうか。

私は、そうではなかったのではないかと思うようになりました。

相手が見ていたのは、
相手の情報空間の中につくられた「私」でした。

私自身ではなく、
相手の経験や価値観を通して映し出された「私」だったのです。

そう考えられるようになったとき、
長い間抱えていた苦しさが、少しだけ動き始めました。


私もまた、相手をそのまま見ていたわけではなかった

そして、もう一つ気づいたことがあります。

これは、相手だけの話ではありませんでした。

私は、私の情報空間から相手を見ています。

相手は、相手の情報空間から私を見ています。

同じ教室にいても、
同じ出来事を経験しても、
二人はそもそも別々の場所に立っている。

同じ世界を見ているとは限らないのです。

「境界線を引く」という考え方があります。

自分と相手の間に、しっかりと線を引いて、自分を守る。

とても大切な視点だと思いますし、
私はこの考え方を否定するつもりはありません。

ただ、苫米地理論から見ると、少し違う景色が見えてきます。

境界線は、同じ世界の中に、
自分と相手が向かい合って立っていることが前提になっています。

でも情報空間は、その前提そのものが違います。

私たちはもともと、別々の場所に立っているのです。

そう思えたとき、
「あの人は、私そのものを否定していたわけではなかったのかもしれない」という、
新しい見方が生まれました。

もし今、誰かの言葉や態度を
「自分そのものへの否定」として受け取ってしまっているなら、

それは、相手の情報空間の中でつくられた「あなた」への反応であって、
本当のあなたへの反応ではないのかもしれません。


気づくことから、世界は少しずつ変わり始める

この考え方を知ったからといって、
過去が消えるわけではありません。

傷ついた記憶がなくなるわけでもありません。

でも、出来事の意味は変わることがあります。

意味が変わると、見える世界も少しずつ変わり始めます。

私は、そのことを何度も自分の人生で確かめてきました。

人は、誰かに答えを教えられて変わるのではなく、

自分自身で気づいたときに、
初めて世界の見え方が変わり始めるのではないかと思うのです。


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