学生時代のいじめ。
人間関係で傷ついたこと。
どうして私だったのだろう。
その問いは、
大人になってからも消えることはありませんでした。
答えがほしくて、本も読みました。
セミナーにも参加しました。
スピリチュアルも学びました。呼吸法にも取り組みました。
心が軽くなったこともあります。
救われたと思えた瞬間もありました。
でも、私の中には、ずっと残り続ける問いがありました。
なぜ、あの出来事は私に起きたのだろう…
苫米地理論が答えをくれたのではない
その後、私は苫米地理論と出会いました。
認知科学と重なる部分もありますが、
それだけでは語りきれない独自の視点を持つ理論です。
初めて学んだとき、「なるほど」そう思いました。
今まで学んできたことにはなかった視点だったからです。
でも、私はすぐに
「これが正しい」と信じたわけではありません。
本当にそうなのか。
私自身の人生に当てはめながら
一つひとつ確かめていこうと思いました。
それから約2年間、私は日常の出来事を通して、
この理論を何度も精査してきました。
学ぶことが目的ではありません。
自分の人生で確かめることが目的だったのです。
「抽象度」という考え方
苫米地理論の中に
「抽象度」という考え方があります。
抽象度とは、情報量の大小のことです。
抽象度が高くなるほど、
扱う情報は整理され、シンプルになっていきます。
そしてこの抽象度は、一段ずつ積み重なる階層になっています。
しかも、それぞれの階層には、さらに別の方向性があります。
目の前の出来事だけを見ていると、
苦しさしか見えないことがあります。
答えは一つではありません。
抽象度の階層と、その方向性の数だけ、見え方があるのです。
過去は変わらない、それでも問いはつながっていく
学生時代に言われた言葉は消えません。
傷ついた記憶も、そのままです。
だから、抽象度が変わったことで、
過去が変わったわけではありません。
でも、いくつもの抽象度から、
あの出来事を見つめ直していくうちに、
長い間答えの出なかった出来事が、少しずつ私の中でつながり始めました。
あの出来事には、こんな見方もあったのかもしれない…
そう思えた瞬間、私は初めて、
自分なりの答えにたどり着くことができたのです。
答えは、外にあるとは限らない
以前の私は、誰かが答えを持っていると思っていました。
でも今は、少し違います。
抽象度には、階層と方向性があり、その組み合わせは無限にあります。
ということは、一つの出来事に対して、
見方も、意味も、本来は無限にあるということです。
答えは、自分の中にある無数の見方の中から、
自分自身で選び取っていくものだったのです。
私は、そのことに気づいたとき、こう思うようになりました。
だから、私たちの可能性は無限大なのです。
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世界の見え方が変わるきっかけをお届けしてきました。
でも、正直に言うと、ここに書ききれたのは、ほんの一部です。
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