目標を見失ったとき、自分の可能性を信じられなくなったとき

「自分は、何のために頑張っているんだろう」

そんなふうに思うことはありませんか。

目標が明確なときは、
周りの声に振り回されにくくなります。

自分がどこへ向かうのかが分かっていれば、

「これは、私のゴールに必要なことなのか」
と考えることができるからです。

必要なものは受け取る。
必要でなければ、流されない。

ゴールが見えているときは、
自分で選びながら進むことができます。

でも、
人はいつでもそんなふうに
いられるわけではありません。


目標そのものが見えなくなるとき

人生には、
目標を見失ってしまうことがあります。

頑張っても、うまくいかない。

何をしても空回りする。

これまで信じていたことまで、
分からなくなってくる。

そんなことが重なると、

「もう、バカバカしい」
「どうにでもなれ」

と、投げ出したくなることもあります。

そんなときに、

「目標を明確にしましょう」
「前向きに考えましょう」

と言われても、
もう、そんな話ではありません。

目標を持つことが大切なのは、
分かっていても、

その目標そのものが
見えなくなっているのです。

先も見えない。

自分の可能性さえ、
信じられなくなる。


自分では見えないものを見ている人

そんなとき、
もし一人でも、

「私は、あなたの可能性を信じています」
そう思ってくれる人がいたら。

それを言葉にしなくても、
黙ってそばにいてくれる人がいたら、

それは、すごいことだと思います。

自分では、
もう何も見えない。

何をすればいいのかも分からない。

自分自身を信じることさえ、
難しくなっている。

それでも、その人は、
今のあなただけを見ているわけではありません。

思うことがあっても、
すぐには言葉にしない。

あなたの今の状態だけで、
あなたの可能性を決めない。

高い抽象度を保ちながら、
静かに見ています。

その人は、
大きな壁を越えてきたから、
今を生きているのかもしれません。

だからこそ、

今のあなたには見えないものを
見ていられるのかもしれません。

何かを教えてくれるわけでもない。

答えを出してくれるわけでもない。

ただ、
自分では見えなくなっている可能性を
見ていてくれる。

その存在は、
言葉による励ましとは
少し違うものなのだと思います。


もう一度、自分で歩き出すために

ゴールが明確なときは、
雑音を雑音として流せばいい。

でも、
自分自身がゴールを見失うほど
苦しいときには、

誰か一人の静かな寄り添いが、
雑音ではなくなることがあります。

すぐに答えが出なくても、

すぐに前を向けなくても、

自分では何も見えないときに、
それでも可能性を信じてくれる人がいる。

そのことが、

もう一度、自分で歩き出すための
力になることがあります。

自分の可能性を信じてくれる人がいる。

それもまた、

人が生きていくうえで、
とても大きなことなのではないでしょうか。


ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。

人は、自分のことを
自分だけでは見えなくなることがあります。

だからこそ、
心のことや人の可能性について
考える時間も大切なのだと思います。

私は、氣や科学の視点から、
人の心や可能性について考えています。

メルマガでは、
noteやブログでは書ききれないことや、
日々の気づき、考えていることをお届けしています。

もし、もう少し深く
こうしたテーマに触れてみたい方は、
メルマガにもいらしてください。

👇氣幸師NORIKOのメルマガ登録はこちらから